おはようございます。
今日はよく耳にする言葉を取り上げてみました。
「心技体」
よく聞きますよね。でも意外にちゃんと理解しているかと
聞かれると・・・・。
なので今日は言葉について理解していきましょう。
「心技体」の本当の意味とは?
「心技体」という言葉
「心技体(しんぎたい)」という言葉があります。
もともとは武術でよく登場する言葉です。
最近では柔道、剣道などの武道のみならず、野球やサッカーなどのスポーツでも使われてきているように感じます。
諸説ありますが、語源を調べてみると、
一番有力なのは明治44年に出版された古木源之助著 『 柔術独習書 』 の中の一節です。
「第二章 柔術の目的」で「柔術は如何なるものや」についてこう述べておられます。
第一、身体の発育
第二、勝負術の鍛錬(即ち護身の用)
第三、精神の修養
つまり、
・身体の発育 ・・・ 「体」
・勝負術の鍛錬 ・・・ 「技」
・精神の修養 ・・・ 「心」
順番は違いますが、「心」、「技」、「体」が出てきます。
私の知る限りでは、これが語源となっていると思われます。
「心技体」を取り上げた理由
ところで、なぜ「心技体」という言葉を、ここで取り上げさせていただいたのかといいますと ・ ・ ・
個人的に武術 (特に技の仕組み) はとても興味のある分野であるということもありますが、
最近の 「心技体」 の言葉の使い方に、少し違和感を覚えるときがあるからなんです。
私が今までよく耳にしたような例を、いくつか挙げさせていただきますね。
・高校の部活の監督が
「心技体のうち、技術や体力で劣っているのは今さら仕方がない。
だから精神力でカバーするんだ!」
・プロ野球の解説者が
「野球の技術や体力はありますが、メンタルの強さが足りないのではないですかね。
心技体の三つがそろっていないといけませんね。
・柔道のコーチが
「心技体のバランスが大切なので、
各選手、この3つのうち、弱い部分を徹底的に鍛えました。」
一見、納得してしまうような 「心技体」 の使われ方です。
しかしながら、私はちょっと違和感を覚えてしまうのです。
(なんか少し違う ・ ・ ・ような気が ・ ・ ・)
「心技体」のもともとの意味
よく耳にするケースでの使い方に、共通している考え方があります。
それは、
・人間のパフォーマンスには次の3つの要素がある。
1、「心」 ・ ・ ・メンタル、精神力
2、「技」 ・ ・ ・技術、テクニック
3、「体」 ・ ・ ・フィジカル、筋力・持久力などの体力
・この3つの総和がパフォーマンスである。
・だから足りない部分は補う必要がある。
となるでしょうか ・ ・ ・。
一見、何の問題もないようにも見えますが、ここであらためて古木源之助著『柔術独習書』をひも解いてみましょう。
もともと「心技体」はどんな意味だったのでしょうか?
実は、先ほどお伝えさせていただいた箇所のすぐあとにこう述べられています。
『以上三項の修行法は相互関連して居れるを以て単に一つの方のみを研究すべきものにあらず』
現代語に訳してみると
「お互いに関連するものだから、一つだけを取り上げて研究するものではない」
とはっきりおっしゃっておられます。
さらにこのあとで、
『単なる体操のようなものは意味のない運動であり、興味もなければ利益も少ない』
と述べられ、これに対して柔術の鍛錬法は
『いかにして相手を倒し、相手の攻撃を防御するかという勝負の「意味」が含まれ、精神の活動も盛んになり、智徳の増進も助けるのだ』
という趣旨のことを述べられておられます。
柔術においては、「心技体」をバラバラにではなく、一つのものとして修行していくものであると読み取れます。
いかかでしょうか?
現在使われている意味とはずいぶん違うように思います。
前の例は、丸いケーキを3人分に切ったようなイメージ。
後の例は、3つの地域の名産のミネラルウォーターを一つの容器に入れてあるイメージ。
こんな感じです。
失われつつあった?柔術の本質
これが書かれたのは、かれこれ昔の明治44年です。
わざわざこのようなことを書き記すことをされたのは
明治の当時から、すでに柔術の本質のようなものが失われつつあったとも思えてきます。
著者の古木源之助という方は「四心多久間四代見日流柔術」の教師であるとこの本に記されています。
「四心多久間四代見日流柔術」は伝教大師(最澄)を遠祖とし、富山藩に伝わる歴史ある流派です。
当然「心技体」についても、先人たちからの伝承に基づいた考え方になっておられるのだと思います。
このようにさまざまな伝承が、
明治も終わりになる頃には本来の意味が失われつつあったというのは
どうやらこの流派だけではないようです。
ここら辺の研究が、現代における古武術など、
昔の身体文化の再生にもつながっているものと思います。
はるか昔の明治の時代に、そんな危機感からこの『柔術独習書』と書き残され、
当時の人々や未来の次世代、次々世代、次々次世代、 ・ ・ ・の方々に
古の尊ばしき先人の方々の伝承を正しく伝えたかったのではないでしょうか。
「心技体」について調べていたら、こんなところまで行き着いてしまいました。
どの領域においても、歴史やルーツを辿らせていただくことは、本当に感銘を受けてしまいます。
「バラバラにとらえてはいけない」
また、似たような言葉に「こころとからだ」がありますね。
これも、「心と体のバランス」だとか「こころとからだはつながっている」というような使われ方をします。
うーん、でもなんか違う!
やはり、「心技体」と同じように、「こころ」と「からだ」は分けて考えるものではなく、「ひとつ」としてとらえるのがより本質に近いのではないかと感じます。
なんだか説教臭くてすみませんが、そのようにとらえる方が、それこそ「こころやからだ」はずいぶんとスッキリ明るくうれしくなると思いますので、再度お伝えさせていただきますね。
「バラバラにとらえてはいけない」
これが本質の気がします。
そういえば、「身心一如」という仏教の言葉も ・ ・ ・。
・ ・ ・ちょっと大変なところまで来てしまいました。(^_^;)
この続きはまたいつか ・ ・ ・
自分みたいな人間でもお伝えできるようになればいいですね。(^^)
ありがとうございました。
バラバラにとらえず ひとつととらえる。 ぜひ、研究されてみてください。
日頃からの姿勢や運動も大切なんですね。
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